コモブログ

18歳による日常がちょっと豊かになる情報!

一番古い記憶は母親の葬式

私は2002年夏に生まれた。その3年後、2005年に弟が生まれた。それから数ヶ月後、母に癌が見つかった。末期癌だった。弟が生まれた年の冬、母は亡くなった。

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【母との思い出と昔の記憶】

知らないおじさんに抱っこされながら、火葬後の母(骨)を見ていたのを覚えている。これがわたしの一番古い記憶であり、母との唯一の思い出だ。

 

それから15年間父子家庭で育った。母方の祖母は、父に何度も「娘はあなたのせいで死んだ」と言っては、私たち子供を取り上げようとしていたらしい。5歳の頃、そんな祖母の訃報を電話越しで聞いた父が少しホッとしていたのを覚えている。

 

15年間、周りからは「可哀想」と言わんばかりのオーラを振り掛けられてきた。でも、わたしは悲しくもないし可哀想じゃない。何ともない。そう思っていた。

【とにかく幸せだった小学生時代】

早朝、朝ごはんを用意すると、父はすぐに出勤した。冷たくなったご飯を弟と食べてから友達と学校に行った。授業では積極的に手を上げて放課後は夕焼けのチャイムが鳴るまで友達と遊んだ。家に帰って弟と犬の散歩に行ってお風呂掃除、洗濯物をやっていたら、父が帰ってくる。玄関のドアを開ける音がした瞬間、弟とソファの後ろに隠れて、父が私たちを探すことが日課だった。それから夜ご飯まで近所の友達と家の前で遊んだ。「ごはんだよー」という父の声で友達と別れて家に帰った。父は毎日「今日楽しかった?」と聞いてくれた。母との約束だったらしい。夜ご飯は唯一みんなで食べられるご飯だったから好きだった。ご飯を食べたら3人でゴロゴロしながら遊んだりして、3人でお風呂に入る。お風呂の中でポケモンの歌をお父さんに教えたんだけど、全然覚えてくれなくて弟とキレながら教えたのを今でも覚えている。毎日決まって「おやすみ、お仕事頑張ってね」と言って弟と二人で寝た。毎日のように父に手紙を書いた。夏休みは朝から弟と自転車で市民プールに行った。冬休み、3人で近くの神社に初詣に行くことが1番の楽しみだった。春休みには毎年旅行に連れて行ってくれた。授業参観にも運動会にもちゃんと来てくれた。お弁当が必要なときには茶色いおかずと8割米のお弁当を作ってくれた。そんな小学生時代が楽しくて、幸せで、恋しい。

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【初めて父子家庭が嫌になった中学時代】

中学生になって、父子家庭に嫌気がさしてきて、何も悪く無い父を嫌った。母方の祖母と同じだ。父の仕事がうまくいかなくて、家にお金がなくなった。毎年の旅行も、数千円の臨時お小遣いに変わった。それでも受験生になると塾に通わせてくれたし、必要なものがあれば買ってくれたしお小遣いがなくなれば追加でくれた。父はいつも早朝から夕方まで、それから夜勤にも行っていた。父の靴はいつも貰い物だし、服装も3着ぐらいをヘビーローテーションしていた。中学卒業のとき、学校で「保護者に手紙を書きましょう」ということになった。そこで反抗期ながらにも感謝を伝えた。父が毎日ボロボロになって働いて、病気とかじゃないけど、ふいにいつ死ぬかわかんないと思ったから「いつもありがとう。だいすきです。必ず親孝行するから長生きしてね。」ということを伝えた。だいすきなんて小学生ぶりで、死ぬほど恥ずかしかった。友達に見られたら死のうと思った。笑

【母親が恋しくて泣いた高校時代】

高校生になると反抗期も落ち着いて、父と週一でスーパーに行くようになって会話も増えた。バイトで貯めたお金でちょっと背伸びして高めの財布をプレゼントした。高校の友達には父子家庭であることが言えなかった。「なんかごめん」みたいな空気になるのが嫌だったからだ。だから、いない母親の作り話をすることもある。お母さんに作ってもらっているお弁当、本当は自分で作ってるなんて言えないし一人で買い物に行ってることも言えない。周りの友達がインスタにお母さんとの2ショット写真を上げたり一緒に買い物に行ったりしているのを見るのは辛かった。高校三年生の時、初めて母がいない虚しさを知って泣いた。初めて父子家庭であることに後ろめたさを感じた三年間だった。

 

【父がくれた無償の愛】

母が他界して父子家庭でありながら、毎日楽しく幸せで暮らせていたのは、父がひとりで現実を見てくれていたおかげだと思う。自分のお母さんが死んだことを理解できずにいた3歳の娘も、18になって、あと1ヶ月で高校を卒業する。ありがたいことに父はまだ生きている。あと10年は生きてほしい。本当はあと50年ぐらい生きていて欲しいけど。その間に親孝行をしたい。まずは自分を大事にすること。そして父が働かなくても暮らしていけるぐらいの仕送りをすること。耳が腐るほど感謝を伝えること。そして私と弟がそれぞれ幸せになること。この4つを叶えたい。父がくれた無償の愛を、いつか私も自分の子供に注ぎたい。